2011年11月25日金曜日

エアロスミスを観に行ってきた(2011.11.25 in Hiroshima)

確かに、エアロスミスは、ボン・ジョヴィよりカッコイイ。
音楽界における我が最愛のスターはボン・ジョヴィ(そしてそのフロントマンであるジョン)だが、彼らが自分たちで言ってたとおりだ。
音楽、演出、何もかも。
でも、ライブが終わって思い返せば、かっこいいより「美しい」と言った方が正しい。
ああ、美しさを感じたロック・バンドなんて、はじめてだ。


でも、スティーヴン・タイラーは、美男子ではない。メンバーも、美形とはいえない。
スティーヴンは皺くちゃの河童のような顔に、キンキラキンの服を着て、嗄れ声と裏声で歌い、くにゃくにゃと踊る下品で怪しいオッサン(ジーサン?)である。
それなのに、ステージで歌い踊る彼は美しかった。エレガントだった。
あのカタチに入っている魂が「スティーヴン・タイラー」でなかったら、あの美しさは生まれないだろう。「スティーヴン・タイラー」だからこそ、その魂の輝きがカタチを超越してしまう。
テレビでは観たことのあるエアロスミスだが、ちょっとスティーヴンの容姿は苦手だった。
でもホンモノを観てしまったら・・・・・・。
姿形など、まったくただのイレモノだ。
放出される魂の輝きの前に、カタチなど無意味である。陳腐な言い方をすれば、あれこそがスターのオーラなのだろう。



私は音楽ファンではなく、単なる音楽好きでしかないので、音楽に関しては何も言えない。
だが、音楽を超えたところで、演者のもつ魅力はわかるつもりだ。

スティーヴン・タイラーはMCで、私たちに向かって「beautiful」と言った。
ジョン・ボン・ジョヴィはよく「friendship」という言葉を使う。
そこに、バンドの魅力、スタイルの違いを感じる。
エアロスミスとボン・ジョヴィに限らず、大スターのもつ魅力はそれぞれ違うが、共通していることは、その魅力が圧倒的なものだということだ。
カタチを吹き飛ばすほどの魅力、輝き。
これを感じられるのは、やはりライブに勝るものはない。


『THIS IS IT』を観たとき、マイケル・ジャクソンのライブに行っておけばよかったと思った。
クィーンのライブDVDを観るたびに、自分がもう少し早く生まれてきてたらなあと思う。

スターだって、死んじゃったら、もう会えないんだよ。

だから、明日はエリック・クラプトンのライブに行ってきます。

2011年11月9日水曜日

『世界侵略:ロサンゼルス決戦(World Invasion:Battle Los Amgeles)』 エイリアンがマクガフィンになる日

SFを観に行ったつもりだった。エイリアン対人間を観に行ったつもりだった。昔から、未知の生物に対しスーパー兵器ではなく、現実の兵器や手持ちのものを利用して闘うというシュチェーションが大好きだったからだ。
しかしこの映画ではそのシュチェーションはさらに進化し、リアルで、明日にでも世界に起こりうる出来事のように描いている。映像も、物語も、である。
エイリアンの正体や目的などの謎解きについては重きをおいていない。これは『スカイライン-征服-』も同じなのだが、『スカイライン』は主人公カップルの身に起きた出来事にはSF要素が強かった。これが『世界侵略』では皆無に等しい。とにかくリアルなんである。
リアルさを強調したいのか俳優もずいぶんとリアルで、派手さのない演技派アーロン・エッカートが主演。本当に海兵隊にいそうだ。女優は、もはや「アクション女優」とカッコつきで呼んだ方がいいミシェル・ロドリゲス。メインキャストとしてクレジットされていないその他の海兵隊員を演じる俳優も、他の戦争映画か軍の出てくる海外ドラマで観たような記憶があり、とはいえ目立つ容姿ではない。本当に、ミシェル・ロドリゲス以外は華がなく、そこらにいそうな役者ばかりで、『スカイライン』とはまた違った地味な布陣である。

そもそも、この映画にエイリアンは不要である。
エイリアンの代わりにものすごく強力な正体不明の敵が出てきても同じことであって、それが宇宙から来るのか同じ人類なのかというだけの違いでしかない。
エイリアンは単なるマクガフィンであり、この映画は、強大な敵を前にどう戦うか、というシンプルで根本的で、実にミリタリーな思考でできあがっている。
だから、もし本当にエイリアンが地球に侵略してきたとしたら、この映画のように、我々の出来うる範囲で闘うしかないのだろう。
夢も希望もスーパー兵器もなく、これがリアルなのだと思うと、少しエイリアンと遭遇するのが怖くなった。