2013年8月25日日曜日

『ワールド・ウォー・Z』 (World War Z) World War ”Zombie”

この映画の予告編について、知人と討論(?)になった。
予告編での、逃げまどう人々、異様な動きをする人間、そして人間がまるで津波のように襲いかかる映像。そしてタイトルは『ワールド・ウォーZ』。
そう、「Z」。だから・・・・・・

sinok:「Z」なんだから、これはZombie(ゾンビ)の映画なのよ!
知人:ゾンビだなんて宣伝してないし、「Z」がゾンビの頭文字なら、
    マジンガーZもゾンビだっていうのか?
sinok:マジンガーはマジンガーだからゾンビなわけないじゃない
    人間がうじゃうじゃと人を襲ってて「Z」だからゾンビなの!
知人:・・・・・・(絶句)

この映画がゾンビ映画だと隠して宣伝されていたことを知ったのは、映画が封切られる直前のことでした。
結構、ショックです。
宣伝の方法がひどいことじゃありません。普通は「Z」ときいて「ゾンビ」の頭文字だとは思わない、という事実にです。
『ウォーキング・オブ・デッド』にはまっている私は、「Z」とみると「ゾンビ?」と反応する脳になってしまっていたのです。もし本当にゾンビとは無関係な映画だったら、マヌケもいいとろろです。
それにこれでは、日本の間違った映画宣伝のありかたを批判することもできません。

レイティングを下げるためだというが、ゾンビ映画なのにゾンビに食われる怖さはゼロだし、ゾンビ自体をしっかり見せるシーンも少ない(昨今多い走るゾンビの場合は、たしかにゾンビがよく見えないのだけれど、捕食シーンや流血シーンはしっかりあるものだ)。
それでいて、怖い。
なぜなら、予告にもあったとおり、人間があり得ない動きをしながら奔流のように襲いかかってくるところなど、いままで観たことがないからだ。
やつらに何をされるのかわからなくても、なんだか怖い。いやもう、反射的に怖くて逃げたい。
ゾンビははっきり見えないのに、生理的な怖さはちゃんとあるところがすごい。

ゾンビだけではなく、ブラピ演じる主人公もいい。
この主人公、よく考えると、序盤と終盤以外ほとんどゾンビと闘っていない。
なぜなら彼には戦うスキルがないのだ。彼がもっているのは、元国連職員として身に付けたスキル。紛争や疫病の知識だ。
ただし、戦える者が自分しかいないとき、彼は戦うことを厭わない。勇敢で、責任感の強い人間だ。
彼は、はじめ、家族のために、世界を守る鍵を探しに旅にでる。そして、世界を守ろうとするブラピのために、世界中の人が立場を超えて彼に知恵と力を貸してくれた。そして大勢が命を落とす。
だからブラピは、家族を思いつつも、世界のために任務を果たそうとするのだ、命がけで。
マイ・ホーム・パパがヒーローになっていく過程で、火事場の馬鹿力を発揮するわけではなく、多くの人々に支えられているということが、なんだかとても新鮮で、でもすとんと腑に落ちた。
普通、ゾンビ物は生存者の心の暗部をえぐりだすものだが、逆に人の良い面を前面に出し、将来起こるかもしれないパンデミックや大規模災害にも、なんだか希望が見える物語になった。

ゾンビ映画なのに、ゾンビ物定番の描写も絶望した人間の醜悪さも描かず、でも、いままでのゾンビものになかった魅力が満載で、その魅力もまたゾンビと世界の終りが生み出したものだというこの不思議。
ブラピがこの映画を「洗練されている」と言っていたがまさにそうで、これまで後ろ暗い存在(?)だったゾンビが、とうとう太陽の下にさらされてしまった気分がする。
恥ずかしいような、ちょっと誇らしいような。
ぐちゃっとしたゾンビの造形は、私だって生理的には苦手だ。
だけどゾンビ映画の魅力は、造形の先にあるから、私はなんだかんだでゾンビを観てきた。
でもまだまだゾンビの魅力はこんなものじゃないんだと、ブラピが私に教えてくれたのだ。

くう~~。ブラピさま。ぜひ、続編お願いします。お蔵入りになったという噂の、ゾンビ大血戦inロシアを観たいです!!


↑ときどき自分が人様の足を引っ張ってしまう主人公。
これが嫁(アンジー)の方なら、無敵だったんだが(笑


『シリアル・ママ』(Serial Mom) 祝!DVD&BlueRay化!

大学生だったあの日。
お昼のワイドショーを見ていなかったら、私はこの映画の存在を知らないままだっただろう。
映画評論家のおすぎ氏が、困った顔をするアナウンサー(?)相手に熱弁をふるっていた。
「とにかくこの映画はすっごく面白いの!」
だから、私は観に行った。もう20年近く前のことだ。
そして、この映画を観に劇場へ行った、という事実のおかげで、会社で後輩から英雄のごとく崇められている今日この頃である(本当)。

ビバリーの魅力は、殺人そのものと同じくらい終盤の法廷劇にある。
シリアル・キラーと言えば去年の『悪の教典』を思い出すのだが、あの自己チュー殺人鬼のハスミンは犯行がばれて咄嗟に精神異常を装うという、引き出しの少なさを露呈したのに対し、彼女は堂々と無罪を主張するのだ。
それも、彼女は「私はあなたたちと同じだ」と言って、本当に無罪を勝ち取ってしまう。
ハスミンは人間の弱点をつくことはできるが、共感能力がまったくないため、人間性を理解しているとは言い難い。ビバリーは、家族を愛し生活を愛し社会を愛している。世間も社会も人間もよく知っている大人で・・・・・・ただ、共感できない相手をいたぶったり殺すことを厭わなくて、むしろそれを楽しんでいるだけのこと。
そして、無罪になったところで迎えるエンディングが素晴らしい。
シリアル・ママは、世間も社会も人間も知っていて、うまく立ち回る能力だってあるけれど、一瞬たりともそれらに委縮して自分を見失ったりはしないのだ。

それにしても、80年代を美人女優としてならしたキャスリーン・ターナーのこの雄姿は、あまりの衝撃とともに、この20年私の頭に焼きついて離れなかった。
再見して驚いたのは、自分がほとんどのシーンを覚えていたことだった。最近は昨日みた映画の内容だって忘れちゃうことがあるのにね。
当時のキャスリーン・ターナーの年齢とほぼ同じになったいま、またこの映画を観ることができて、これほど嬉しいことはない。
『シリアル・ママ』をDVD&BlueRay化した関係諸氏に、心からの感謝と敬意を表する次第であります。

↑映画史上、もっとも肉包丁の似合う女優

『終戦のエンペラー』(EMPEROR)  先の戦争をおもっての雑記

あの戦争やあの時代を描いた映画を必ずみるというわけではない。
でも観たら、考える。映画のことだけではなく、色んな事を。
今回は、その雑記にすぎないがご容赦いただきたい。

日本は、敗戦国としてものすごく幸運な国だった。
戦争を続ける力がもう残っていなかったこと。占領統治をアメリカが行ったこと。最高司令官が野心丸出しのマッカーサーだったこと。共産主義への警戒心が強かったこと。
でも映画の中で何度も語られていたとおり、天皇制が残ったことが、ずば抜けて大きい。
劇中フェラーズが話したとおり、昭和天皇が逮捕・処刑されていたら、復興は遠のいたに違いない。
戦争に負け、価値観がズタズタになった日本で、もし天皇まで否定されたら、玉音放送を聞いて文字通り「堪へ難きを堪ヘ忍び難きを忍び」降伏した人たちは、何をよすがに占領下を受け入れればよかったのだろう。

天皇制が残った影に、フェラーズという無名の男がいたという。
映画をみてパンフレットを読んで、家に帰ってからもいろいろ調べた。本も買おうかと思っている。
調べてみればもちろん、映画のようにフェラーズがすべて自分一人でがんばったわけではない。
だけど、フェラーズ、という、聞きなれない名前がきっかけで、私のようにあれこれ学び出す人間だっているわけだ。
この手の映画はなんでもそうだが、映画をうのみにせず、自分で調べて考えるきっかけにするべきだ。

私の父は昭和7年生まれで、戦後、台湾からの日本に引き揚げてきた。
そんな父は、子供の私に『西部戦線異状なし』を見せ、強制的に広島の原爆ドームと資料館に連れて行くような人である。私が大人になってからは、日本に引き揚げて見た焼けて何もなくなった町のことや彼自身の価値観が大きく崩れた話を何度も聞いた。
この映画に出てくる焼け野原となった東京の姿に、父の話がかぶる。
そんな彼はいつも言う。
「終戦じゃない。敗戦だ。終戦なんて言ってごまかすから、いろんなことを間違える」
自虐史観でもなんでもない。負けたのは事実だ。
先の戦争について思うとき、いつもそのシンプルなことを腹にすえてから始めている。


↑宇宙人ジョーンズはマッカーサーに全然似てない。
でもこのシーンの前、飛行機の中でのやり取りは好きだ。
まさしく、彼をみて日本は「アメリカ人の男ぶり」にヤラレたわけだから。

2013年7月6日土曜日

『オブリビオン』(Oblivion) トム・クルーズはこうでなきゃ

トム・クルーズの主演映画で、一番好きなものはなんだろう?
私の場合、それは『ザ・エージェント』Jerry Maguire)である。
この映画の中のトムは、スポーツが好きで仕事も好きで、野心も夢もあり、傲慢で短気で、友情に誠実で深い愛もあり、勇気もおびえも迷うことも決断力もあり・・・なんというか、フツーの男なんである。
アメリカン・ドリームな映画で何がフツーかという向きもあろうが、欠点も良いところも両方あり、その間をふらふらしたりしている姿は、フツー以外の何物でもない。
そしてそのフツーの男が困難を乗り越え、アメリカン・ドリーム(成功と家族)を手に入れる。
この映画でのトム・クルーズは、アメリカのもっとも良い姿の典型だ。
そもそもトム・クルーズの演じる男たちは、みんな善きアメリカ人の姿が投影されている。
長所も、そして短所も。

前置きが長くなったが、『オブリビオン』である。
『ザ・エージェント』から20年近くたったいま、私は、一番好きなトム作品は『オブリビオン』と答えられる。
『オブリビオン』は、SFとしてはクラシックな作品だ。そしてトムの出演作としては、私が勝手に名付けたところの<トムのための映画>に分類されるだろう。
いつかどこかでみたような映像、物語、いつものトム、たしかにそうだが、このジョセフ・コシンスキー監督は私と同年である。
彼が影響を受けた作品は、おそらく私も見ている。SFも、トムの映画も。
だから分かるような気がする。
この人は、好きなのだ。自分の見てきたSFと、トム・クルーズが。
そしてこの人が好きだと思うSFとトムが、私の好きなそれらと似通っていて、映画を見ている間がとても幸せな気分になった。
この映画には、善きアメリカ人のトムがいる。
冷徹に考えれば欠点だらけのアメリカなんだが、それでも私は善きアメリカが好きだ。
『オブリビオン』のトムには、私がこうあってほしいと思うアメリカの姿が詰まっている。
そしてそんなアメリカは、今のご時世、もうSFでしか描けないようにも思う。

トム・クルーズって、もしかしたら、現代版のゲイリー・クーパーかもしんない。
褒めすぎかしらん?

↑"Touch Down!"ってはしゃぐトムが好きだ

2013年5月14日火曜日

『アイアンマン3』(Iron Man 3) 音で観る、それがなにか?

IMAXデジタルシアターで映画を観る理由は、質のいい映像だけではなくて、音にもある。
一般的な賃貸住宅でうっかり高品質な音響設備を整えたとしても、映画館のそれには敵わないし、近所迷惑になって大家に怒られるはめになる。
だから、私は『アイアンマン3』をIMAXで観た。
ただし、私が聞きたかったのは、迫力ある爆音では、ない。それは・・・

スーツの音!!!


私は機械音が大好きだ。
どれぐらい好きかというと、職場でコピーをとっている時、コピー機の音に合わせてリズムをとっちゃうぐらい好きなんである。(たまに同僚に目撃されてバカにされる)
でも一番好きなのは、ウィーン、ではなく、カシャンカシャン、という系統の音である。
金属と金属のあたる音。そしてその音がでる動き。
その点、アイアンマンは最高だ。
『1』で一番ステキだったのは、踵。踵の動くシーンはどれもこれもワクワクした。
『2』は携帯スーツを着るところ。カシャカシャと装着されていくのはときめくシーンだ。
で、今回の場合は、スーツのパーツが飛んでくる、というすてきな装着方法なので、トニーがスーツを脱ぎ着するたびに胸がキュンキュン(死語)してしまった。
クライマックスでの心拍数なんかMAXだったに違いない。



↑新作スーツの装着シーン。特に足から膝にかけての音

ちなみにこういうことを言っていると、「じゃあトランス・フォーマー好きでしょう」と、大抵言われるが、私はあの映画の音はダメだ。
変形するときの、ウ~リュリュリュリュ、って音。カッコよくないので私にとっては機械音ではない。
(聞き比べたい人はYouTubeで検索して聞いてください)

ということで、大好きな音と動きが、IMAXシアターのおかげで、耳元で!3Dで!リアルに楽しめる『アイアンマン3』は、私のフェチ心を100%満たしてくれた。
ところで私、このシリーズ、音と動きばかりに集中していて、ちゃんとストーリーを覚えているのは1作目だけだなんてそんなこと、口が裂けても言えないわ。

↓こんなものを見つけた。ぜひ『3』も加えてほしいなあ



2013年4月25日木曜日

『テッド』(ted) 映画に初めて「自分」を感じた瞬間

この映画のテレビCMを見たとき、実はかなり疑ってかかっていた。
相方がクマだってだけで、ようは、グダグダな男たちの下品な話なんだろうと。
でも知人が「ぜったい、sinokはみろ」と言う。
その勧めと、町山さんが翻訳監修、主演がマーク・ウォールバーグ(結構好き)、この三つが揃わなければ、多分私は見なかった。

さんざんテレビや劇場で流れていたCMは、『テッド』の一番重要な部分をごっそりそぎ落としている。
ダメ中年とぬいぐるみの、痛烈ギャグ映画、では、ない。
これは「オタク」の物語なんであって『宇宙人ポール』あたりとおんなじなのだ!!


観て、冒頭10分と経っていなかっただろう。
長年映画を観てきて初めて感じた。

これは私と同じ奴の話なんだ!!
だって!
子供たちがもらったクリスマスプレゼントの中に(一瞬)、

スター・ウォーズのフィギュアが見えたんだもん!

もうこの時点で、私はおちた。

そして、エピソード1公開時に主人公ジョンとテッドがダース・モールとヨーダのコスプレをしてるシーン(一瞬)がでてきて

自分がもっと人目を気にしない人間であったなら!!

と、当時の痛い悔恨が甦る事態に至っては、もう完全移入を通りこしてすでに私は映画に同化していたのである。

しょーがないでしょ。

私、人生初体験の劇場映画が『スター・ウォーズ』なんだから!


ここで彼らの神・フラッシュ・ゴードンにも同調していたらもはや現実と映画の区別がつかなくなっていたところだが、残念ながらフラッシュ・コードンに愛はない(知ってる自分が怖いが)。
でも、B級映画のヒーローのせいで後々までの趣味嗜好が決定してしまう、あの抗いがたい感情はわかる。
私だって、ドルフ・ラングレン(『レッド・スコルピオン』大好き)かジャン=クロード・ヴァン・ダム(『サイボーグ』最高)が友達の家にきてる!なんて言われたら、いろんなものを放りだして会いに行く。
もし両方きてたら・・・・・・うひゃあ!!(『ユニソル』は最高の二乗)


私は、この映画のストーリーや大量の毒舌お下品ャグを楽しんだわけではなかった。
私はエロは◎だがスカ系は苦手だ。
でも、この映画は、私がもし男に生まれていたら、もし同種の友人がいたなら、もしファッションに興味をもつことがなかったら、もし・・・もし・・・を重ねていった先にきっとあったはずの、自分の物語だったのだ。

ああ、こんな人生、私も歩んでみたかった。


追記1:私も着メロを「帝国のテーマ」にしていたことがある

追記2:いま気づいたが、ほとんど『テッド』について書いてない。・・・ま、いっか

このマーク・ウォルバークのアホ面が好きだ
あ、シリアスな役も好きよ

2013年4月3日水曜日

『ゼロ・ダーク・サーティ』(Zero Dark Thirty) 女・男社会・働き者

この映画の政治的軍事的な側面についてはとっくに語りまくられていていまさらだ。
私は「無知は罪だというのはわかっちゃいるが、でもなんでもかんでも知った方がいいってわけでもないわな」という気分になった、って程度でやめておく。

そういうこととは別に、私が強烈にイメージに残ったのは、主人公マヤの髪なんである。
映画の冒頭ではふわふわ巻き巻き編み編みと、不器用な私にはどう作るのかもわからない髪型で彼女は登場する。
中東のど真ん中に、えらく可愛らしく登場する彼女は、砂まみれのオフィスも気に入らず、先進国の快適さが皆無の世界に不満である。
ただし、マヤには拷問にひるまないガッツがあったのだが。
マヤの髪型は、物語が進むにつれて変化する。
こった髪型は消え、一つにひっくくるだけになる。
いつの間にか巻髪はストレートに。
ひっくくる髪はだんだんほつれていく。
最後は髪も結ばず、洗いざらしのような髪が砂交じりの風になぶられていく。
その彼女の姿には、映画冒頭のマヤはいない。
たくましく、ゆるぎない姿には、男たちですら、信頼を寄せる。

女性が、男性の多い職場で働き、実力を発揮するのは難しい。
どこかで彼女のようにぶつかり、かみつく日はやってくる。
ファッション雑誌のように、美しく、笑顔を絶やさず仕事をしている女性は、本当は少ない。
少なくとも、男性に伍して働く女性には。
(そういう手合いの女性の笑顔は、たいていは戦略的なものだ)

表情がこわばり、すさんでいくマヤの姿に、自分を重ねた働く女性は多いのではないだろうか。
ビグロー監督も、働く女性だ。
明らかに政治的な面で語られるだろう映画の中に、彼女は男性社会で働く女性の苦悩を、言葉にすることなく描いている。
そこに、感情移入の難しいテーマをもつこの作品に、心を寄せやすい隙がある。

最後の涙の解釈はいろいろだ。
あれは、ひとつの感情だけで流した涙ではない。
いろいろな感情が混じった涙だ。
ビン・ラディンの殺害、拷問、テロ、仲間の死・・・そのすべての意義を問い直すこと。
それらと比べれば小さいことなのだろうけど、でも涙の中のいくつもの感情のひとつには、われわれ働く女性たち全員が、一度は流した涙が混ざっているはずだ。
われわれ女は、なんて遠くに来てしまったのだろうと。


↑中盤。まだ巻き髪に可愛らしさあり。


↑クライマックス。もはや愛らしさはゼロ・ダーク・・・