この映画の予告編について、知人と討論(?)になった。
予告編での、逃げまどう人々、異様な動きをする人間、そして人間がまるで津波のように襲いかかる映像。そしてタイトルは『ワールド・ウォーZ』。
そう、「Z」。だから・・・・・・
sinok:「Z」なんだから、これはZombie(ゾンビ)の映画なのよ!
知人:ゾンビだなんて宣伝してないし、「Z」がゾンビの頭文字なら、
マジンガーZもゾンビだっていうのか?
sinok:マジンガーはマジンガーだからゾンビなわけないじゃない
人間がうじゃうじゃと人を襲ってて「Z」だからゾンビなの!
知人:・・・・・・(絶句)
この映画がゾンビ映画だと隠して宣伝されていたことを知ったのは、映画が封切られる直前のことでした。
結構、ショックです。
宣伝の方法がひどいことじゃありません。普通は「Z」ときいて「ゾンビ」の頭文字だとは思わない、という事実にです。
『ウォーキング・オブ・デッド』にはまっている私は、「Z」とみると「ゾンビ?」と反応する脳になってしまっていたのです。もし本当にゾンビとは無関係な映画だったら、マヌケもいいとろろです。
それにこれでは、日本の間違った映画宣伝のありかたを批判することもできません。
レイティングを下げるためだというが、ゾンビ映画なのにゾンビに食われる怖さはゼロだし、ゾンビ自体をしっかり見せるシーンも少ない(昨今多い走るゾンビの場合は、たしかにゾンビがよく見えないのだけれど、捕食シーンや流血シーンはしっかりあるものだ)。
それでいて、怖い。
なぜなら、予告にもあったとおり、人間があり得ない動きをしながら奔流のように襲いかかってくるところなど、いままで観たことがないからだ。
やつらに何をされるのかわからなくても、なんだか怖い。いやもう、反射的に怖くて逃げたい。
ゾンビははっきり見えないのに、生理的な怖さはちゃんとあるところがすごい。
ゾンビだけではなく、ブラピ演じる主人公もいい。
この主人公、よく考えると、序盤と終盤以外ほとんどゾンビと闘っていない。
なぜなら彼には戦うスキルがないのだ。彼がもっているのは、元国連職員として身に付けたスキル。紛争や疫病の知識だ。
ただし、戦える者が自分しかいないとき、彼は戦うことを厭わない。勇敢で、責任感の強い人間だ。
彼は、はじめ、家族のために、世界を守る鍵を探しに旅にでる。そして、世界を守ろうとするブラピのために、世界中の人が立場を超えて彼に知恵と力を貸してくれた。そして大勢が命を落とす。
だからブラピは、家族を思いつつも、世界のために任務を果たそうとするのだ、命がけで。
マイ・ホーム・パパがヒーローになっていく過程で、火事場の馬鹿力を発揮するわけではなく、多くの人々に支えられているということが、なんだかとても新鮮で、でもすとんと腑に落ちた。
普通、ゾンビ物は生存者の心の暗部をえぐりだすものだが、逆に人の良い面を前面に出し、将来起こるかもしれないパンデミックや大規模災害にも、なんだか希望が見える物語になった。
ゾンビ映画なのに、ゾンビ物定番の描写も絶望した人間の醜悪さも描かず、でも、いままでのゾンビものになかった魅力が満載で、その魅力もまたゾンビと世界の終りが生み出したものだというこの不思議。
ブラピがこの映画を「洗練されている」と言っていたがまさにそうで、これまで後ろ暗い存在(?)だったゾンビが、とうとう太陽の下にさらされてしまった気分がする。
恥ずかしいような、ちょっと誇らしいような。
ぐちゃっとしたゾンビの造形は、私だって生理的には苦手だ。
だけどゾンビ映画の魅力は、造形の先にあるから、私はなんだかんだでゾンビを観てきた。
でもまだまだゾンビの魅力はこんなものじゃないんだと、ブラピが私に教えてくれたのだ。
くう~~。ブラピさま。ぜひ、続編お願いします。お蔵入りになったという噂の、ゾンビ大血戦inロシアを観たいです!!
↑ときどき自分が人様の足を引っ張ってしまう主人公。
これが嫁(アンジー)の方なら、無敵だったんだが(笑